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新潟市 りゅーとぴあ [旅行]

新潟市、白山公園内にある”りゅーとぴあ”へコンサートを聴きに行った。プログラムは、ポリャンスキー=ロシア国立交響楽団のチャイコフスキーの交響曲第4番、第5番、第6番だった。

新潟は紅葉も見頃だろうと予想して、紅葉見物を兼ねていた。

白山神社から”りゅーとぴあ”へ歩く。

最初に見たときは、ナンなのかなと思った。見た目はドームか、アリーナである。

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りゅーとぴあという名前は入り口で確認できた。早めだったので近くにある信濃川まで歩いた。高架の歩道で川まで行ける。

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予想したように新潟は紅葉の季節だった。

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りゅーとぴあには、コンサートホールの他に劇場があり、能楽堂がある。巨大な建物になったのはそれらを一つに収めたからだ。

それにしても内部も巨大な空間である。

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これがロビーである。すみだトリフォニーホールやみなとみらいホールと比較してしまう。東京・横浜は土地代が高いから…。

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りゅーとぴあのコンサートホールはいわゆるワインヤード型で、ステージの周囲を客席が囲む形である。ホールの中に入ったとき、川崎ミューザに似ていると感じた。天井がミューザよりも低いためか、ミューザよりも小さめに思える。

ポリャンスキー=ロシア国立交響楽団の演奏会は、いい演奏会というより、楽しい演奏会というべきものだ。リラックスして聴ける。バランスが崩れている個所もあったが、気にならない。生き生きと演奏すれば、どこかで羽目を外すところも出るのが当たり前だ。

自分が演奏会に求めるものが変わった気がする。いい経験だった。

ポリャンスキーのインタビューを読むと、骨格を外さなければ、本番で楽団員が即興できることを歓迎している。楽団員の自発性にゆだねているらしい。

ある本で読んだが、日本人指揮者がロシアのオケを振ったとき、明確なアウフタクトを振ったがオケからは気の抜けた音しか出なかった。コンマスと話し合うと、かれらは指揮者の曲に対する思いを感知し、音楽を作っていくということだった。

これがロシア流の演奏なのだろう。四角四面な演奏から解き放たれた気がする。






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白山公園 回遊式庭園 [旅行]

2017.11.12。

新潟市白山公園に回遊式庭園がある。回遊式庭園なら本来は日本庭園になるのだろうが、ここは噴水がある。従って、オランダ風回遊式庭園になるのだそうだ。実際に見た印象は、やはり純然たる日本庭園である。

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8日 都響 「クレルヴォ交響曲」 [旅行]

8日。東京文化会館で東京都交響楽団のシベリウス「クレルヴォ交響曲」をきく。指揮は3日に引き続き、ハンヌ・リントゥ。座席はほぼ埋まっていた。

(ソプラノ)ニーナ・ケイテル (バリトン)トゥオマス・プルシオ (合唱)フィンランド・ポリテク男性合唱団 合唱指揮:サーラ・アイッタクンプ

席はほぼ埋まっていた。

クレルヴォ交響曲をきくのは初めて。CDでもきいたことがなかった。1892年シベリウス27歳の時の作品である。初演の演奏は惨憺たるものだったらしいが、聴衆は熱狂した。

不思議なもので、演奏がひどくても感動するときがあるし、反対に演奏が素晴らしくても無感動なときもある。

クレルヴォ交響曲は、民族叙事詩「カレワラ」の第34章と第35章を歌詞にしている。全5楽章。第1,第2,第4楽章はオケのみの演奏である。75分ほどの演奏時間だった。

この詩の内容は、近親相姦の話である。それと知らずに妹を犯す。どうしてこういう詩を音楽化したのか、理解しかねる。ワーグナーの影響か。エディプス王の劇もある。

音楽自体は親しみやすく、初めてきいてもスンナリとついて行ける。交響曲と同じくシベリウス節満載である。もっとも熱狂するには歌詞の内容が邪魔になる。

第5楽章は「クレルヴォの死」で、ここは宗教曲に近い。英雄の悲嘆と自決を描く。多分、フィンランドの聴衆はここで感動したのだと思う。

この作品は、初演後しばらくして、作曲家自身が封印してしまった。理由が分からない。封印が解かれたのはシベリウスの死後である。

ハンヌ・リントゥの指揮は熱が籠もっていた。フィンランド人の血が騒ぐのだろう。都響もそれについていた。

自分も段々と引き込まれていった。こういう時は自分でも分かる。耳が音を集め始める。ダメなときには耳は音を外し始める。心理的な作用だろう。音を集め始めると、音が段々と大きくなって生々しくなる。

今日の演奏会は、3日のシベリウス交響曲第2番に続く快演だった。

アンコールは、「フィンランディア」で合唱付き。リントゥがノリノリになって顔面紅潮させて指揮した。もちろん、こちらも同じ状態だった。

もしこの演奏を録音していたら、結構無茶苦茶に聞こえるかもしれない。演奏者たちの熱意とホールの熱狂は録音できないからだ。そういう演奏会だった。

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4日 新国立劇場バレエ「くるみ割り人形」 [旅行]

11月4日。新国立劇場オペラハウスでチャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」を見る。

(振付)ウエイン・イーグリング

(美術)川口直次
(衣装)前田文子
(照明)沢田祐二

(クララ)木村優里
(ドロッセルマイヤー)渡邊竣郁

エトセトラ。

(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団
(指揮)アレクセイ・バクラン

「くるみ割り人形」というと、バレエの年末風物詩だが、新国立劇場では10月~11月公演で、12月は「シンデレラ」になっている。重複を避けたのか。12月は、チラシを見ただけでも6団体が「くるみ割り人形」を公演する。

4日にクララを踊ったのは木村優里だが、「ソリスト」という格になっている。バレエ界は階層性になっているが、プリンシパルが横綱格で、ソリストは大関格ということだろう。

イーグリングの振り付けは第1幕で子供たちに踊らせているのが特徴らしい。子供たちの踊りが上手で見分けがつかなかった。

バレエなので、美しければそれでいい…。踊りとして印象に残ったのは第1幕「雪の国」の”雪の結晶”のコール・ド・バレエである。幻惑された。

有名な「花の踊り」は平凡で魅力に欠けた。


(追記)

日経新聞によれば、新国立劇場も予算が削られたあおりで、今年度の新制作はこの「くるみ割り人形」だけになるという。残りの公演は古いものを使う。振付も衣装も美術も。







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3日 サントリーホール 都響演奏会 [旅行]

3日14時から東京都交響楽団の演奏会を聴く。指揮はハンヌ・リントゥ。ほぼ満席だった。

六本木一丁目の駅に警察官が立っていた。トランプ大統領関連の警備だろう。

曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(Vn:ヴェロニカ・エーベルレ)とシベリウスの交響曲第2番。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はオケは雄弁だったが、肝心のヴァイオリンは線が細いというのか頼りなかった。部分的には美しいところもあったので、第2楽章に期待したが、咳が多くて落ち着かなかった。この人、ソリストとしてのオーラを感じとることができなかった。

シベリウスは骨太の演奏で快演だった。もともとコーダが素晴らしい曲なので拍手喝采間違いなしだが、都響もガンガン鳴り響いて、日頃の鬱憤が晴れる?演奏だった。

今年はフィンランドの独立100年の年で、これからシベリウスが演奏される機会が増えるだろう。ロシアの自治領だったフィンランドはロシア革命の時に独立した。1917年12月6日に独立宣言を発表した。独立宣言を出したところで外国が承認しないと独立したことにはならない。今回のスペインのカタルーニャ州の独立宣言を考えても、独立するのは容易ではない。

ロシア・ソヴィエト政府がフィンランドの独立を承認したのは1918年1月4日である。しかし、その後フィンランドは内戦状態になり1918年5月まで続いた。

日本がフィンランドを承認したのはずっと遅れて1919年5月23日である。


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古墳&コスモス [旅行]

西都原古墳群にはコスモス畑がある。撮影タイムということで、コスモス畑でおりた。

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これで今回の宮崎旅行を終えた。

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西都原古墳群 [旅行]

宮崎県西都市に西都原古墳群がある。全部で311の古墳がある。これだけの古墳があるのだから、古代には、有力な氏族がここに住んでいたのだろう。

古墳の中を歩くわけだが、実感としては古墳公園を歩いた気がする。実際、ウォーキングやランニングをしている人に出会った。

資料館の展望台から眺める。

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実際に歩くと、公園の中を歩くのと変らない。

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古墳は草茫々としているので初めてそれと分別がつく。もしこの茫々とした草がなかったら、古墳とはわからない。

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古代史の好きな人には見逃せないところである。自分は今更、古代史に興味を持つつもりはないし、その時間もない。

霧島連山には韓国岳があり、宮崎県中部には、百済の里がある。朝鮮半島と古代日本の親近性がうかがえる。親近性というより、古代では、日本列島と朝鮮半島は未分離だったと思う。

日本列島と朝鮮半島が分離するきっかけは白村江の戦いだっただろう。

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おがわ作小屋村 [旅行]

椎葉村から西都原市へ行く途中に山間部の西米良村に立ち寄ったが、西米良村で本道から外れ、なお横道を奥に入る。

昼食のためである。昼食場所は、おがわ作小屋村という。同行した添乗員は地元の人だったが、地元の添乗員でもなかなか行けないという秘境である。

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昼食場所は茅葺き屋根の農家風のレストラン。こういう場所で商売になるのかと思う。

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食事は、小皿16品。みためでは大変なように思えるが、各小皿の量が少ないので、シニアでも全部食べられる。

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作小屋村の背後に川が流れている。橋を渡ると、城址公園である。

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ここに小川城があった。

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おがわ作小屋村が見える。

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川べりに下りる。

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川辺で育ったから川が大好きだ。

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再び、おがわ作小屋村前に戻る。

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西米良村 [旅行]

椎葉村から1時間半ほど狭い山道を通り、西米良村へ出る。やや開けているといっても山の間の狭い土地である。

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村所驛に立ち寄る。道の駅である。兼村人の集会場でもあるらしい。山と川の間に細長く展開する村である。

山の麓に建つ家も見たが、昨今のゲリラ豪雨で山崩れが起きたら生き埋めになってしまうだろう。所々、山崩れの跡を見た。

避難場所はこの村所驛になる。

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西米良村の名産は柚ということで、ゆずモナカをお土産に購入した。西米良村といってもどこにあるか分かる人はいないだろう。驚かせてやろうと思ったのだ。案の定、知っている人は誰もいなかった。

(もっとも、私も、行くまでは全然知らなかったが……)

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タグ:西米良村

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椎葉村 [旅行]

平家の落人伝説のある椎葉村は秘境のように思われるが、実際はそうではない。商店街もある。

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商店街も急斜面の下にあるので、大雨が降ったら、これは怖いところである。

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重文に指定されている那須家住宅。鶴富屋敷という呼び名がある。

平家追討で、この地に来た那須大八郎がこの地で追悼を断念し、平家の末裔である鶴富姫と恋に落ちた。鎌倉からの帰還命令で大八郎はこの地を去る。鶴富姫は懐妊していて女子を産む。その子孫がこの家を代々受け継いだ。現当主は32代目。

鶴富屋敷は横長である。丘陵を切り開いて建てたので横長になってしまう。

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背後は急峻な山なので、山崩れの危険性はある。屋敷の左側の山は一度崩れた。今はそこに桜の木を植えている。

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道路事情もよくなって秘境ではなくなったが、村人の意識が急に変るものではない。旅館には鍵のない部屋がある。泥棒が入ることはありませんから。性善説の土地柄である。昔の日本の村はこうだったのだろう。

タグ:椎葉村

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