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4月14日 「アイーダ」 [音楽]

2018年4月14日。新国立劇場でヴェルディの「アイーダ」を見る。14時~17時45分。

指揮:パオロ・カリニャーニ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出・美術・衣装:フランコ・ゼッフィレッリ

アイーダ:イム・セギョン
ラダメス:ナジミディン・マヴリャーノフ
アムネリス:エカテリーナ・セメンチュク
ランフィス:妻屋秀和
アモナズロ:上江隼人
エジプト国王:久保田真澄

普通は歌手や指揮者でオペラを選ぶのだろうが、今回は違う。ゼッフィレッリの演出を見るためだった、

スペクタクル演出で、特に第1幕と第2幕が該当する。往年のハリウッド映画の史劇を思い出させる。

「アイーダ」は第1幕、第2幕がスペクタクル的、第3幕、第4幕は室内劇で趣がガラッと変る。第3幕も第4幕も素晴らしい出来映えだが、第2幕の凱旋の場が圧倒的な迫力で、印象に残るのは第2幕だけということになった。

ラダメスを歌ったナジミディン・マヴリャーノフとアムネリスを歌ったエカテリーナ・セメンチュクは圧倒的な歌唱力だった。アイーダを歌ったイム・セギョンはアルトに近い声で、声はよく響いていたが、一部音程が不安定になるところがあった。

日本人歌手では、妻屋秀和が安定していた。エジプト国王を歌った久保田真澄は声が伸びていなかった。

バレエは新国立劇場バレエ団ではなく東京シティ・バレエ団だった。スタイル抜群のダンサーが踊っていたが、誰なんだろうか。キム・セジョン? これならまた見たいと思ったものだ。

パオロ・カリニャーニの指揮はよく、東フィルも健闘していた。

もう一度この公演を見たいと思ったが、チケットは完売している。

タグ:アイーダ

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4月7日 読響土曜マチネ [音楽]

2018年4月7日。東京芸術劇場で読響の土曜マチネを聞く。14時~16時。

指揮:シルヴァン・カンブルラン
管弦楽:読売日本交響楽団

プログラム。

①ラモー:歌劇「ダルダニュス」組曲から
②モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(独奏:佐藤俊介)
③ベートーヴェン:交響曲第7番

プログラムの関連づけが分からない。初演の年代から言うと、①が1739年、②が1775年、③が1813年である。古いものから順に並べているが、舞踏的な曲を選んだのだろうか。

調べたところ、「ダルダニュス」はバロック様式からモーツァルト様式へ移行する重要な曲であるらしい。モーツァルトのK.449(ピアノ協奏曲第14番)には「ダルダニュス」序曲と同じ動機が使われているという。

ということなら、モーツァルトのピアノ協奏曲第14番を演奏した方が関連づけしやすい。

ラモーの曲は、バロック音楽に聞こえ、可もなく不可もなく、なんとなく聞き終えた。拍手もお義理。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、オケが雄弁だった。佐藤俊介のソロを聞くのはこれが3回目だが、どこがいいのか分からない。広く活躍しているので評価は高いのだろう。今回もまた平板に聞こえた。(アンコールはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番よりシシリエンヌ。)

聞きたかったのはベートーヴェンの交響曲で、軽めのテキパキとした演奏を予想していた。実際は、ピリオド的な鋭角な演奏だった。キツい演奏だったのは予想外。曲が曲だけに感動はしたが満たされなかった。

ホールを出たときはグッタリして、すぐに帰宅。


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東京オペラの森2018「ローエングリン」 [音楽]

2018年4月5日。17時~21時半。東京文化会館で「ローエングリン」をみる。演奏会形式である。

結論から言う。一昨年からワーグナーのオペラ(楽劇)を9回みたが、この演奏会が最も充実していた。

指揮:ウルフ・シルマー
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ

ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ:レジーネ・ハングラー
テルラムント:エギルス・シリンス
オルトルート:ペトラ・ラング
ハインリヒ王:アイン・アンガー
王の伝令:甲斐栄次郎

このオペラでは、オルトルート役に注目している。オルトルートの悪役ぶりがドラマを引き立たせる。その点、ペトラ・ラングのオルトルートはステージに登場したときから異様な雰囲気で申し分がなかった。メイクも工夫していたようである。

日本人歌手の歌唱力については不足感を感じることはないが、それでも日本人には無理だと思う歌い方もある。先日みた「ホフマン物語」でリンドルフを歌ったトマス・コニエチュニーがそうだった。この日のペトラ・ラングも毒気満杯で、同じような歌い方が出来る日本人女性歌手はいないと思う。

ローエングリンを歌ったクラウス・フロリアン・フォークトは当代随一のローエングリン歌手と言われている。去年「タンホイザー」をみたときは、自分の持つワーグナー歌手のイメージと違っていたので面食らったが、今回はそういうことはまったくなかった。

非常に甘美な声、滑らかな歌い方に聞こえる。新国立劇場の唱指揮者の三澤洋史が「オペラ座のお仕事」の中でフォークトの歌い方について述べている。要するに、チェンジ区域を感じさせないのだ。テノール歌手は、音域の真ん中に地声と裏声(倍音)のチェンジ区域があり、音程も音色も不安定になる。チェンジ区域を感じさせないのだから、滑らかにきこえるわけだ。




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3月20日 都響定期演奏会 [音楽]

2018年3月20日。19時より東京都交響楽団の定期演奏会を聴く。指揮はエリアフ・インバル。

プログラムは1曲のみ。ショスタコーヴィチ交響曲第7番である。終了も早くて、20時20分にはホールを出た。

この日は寒くて、上野の桜も2分咲き程度だった。翌日の21日には雪まじりの天気になったぐらいだった。

ショスタコーヴィチ交響曲第7番は対ナチスのプロパガンダ音楽として無視されてきたが、再評価されてきたのか、去年はヤルヴィ=N響が演奏し、今年はこの演奏会ということである。歴史の淘汰を経たということだろう。

普通の交響曲として聞けばよく出来た曲で、なんとなく、第5番に似ている。第1楽章はボレロで、都響も気持ちよく盛り上げていた。

この演奏会の前に東京ニューシティ管弦楽団の演奏会を聞いたが、音の艶が全然違う。都響の優秀さが分かる。インバルの指揮は自由闊達である。もう80歳だから、評価を気にしない年齢なのだろう。

若ければ、評価が悪いと、メシの食い上げになってしまう。生活に関わるから、慎重にならざるを得ない。


(話ははずれるが、「音楽の友」の苦手な作曲家というアンケートを読むと、マーラーが第1位。次がブルックナー、シェーンベルクと続く。バルトークやプロコフィエフも納得できる。意外なのはドビュッシーだね。段々と気分が落ち込んでくるからか。いいと思っても、拍手する気になれない作曲家だ。

苦手の作曲家の中にショスタコーヴィチが入っていないのが不思議だ。高音がキーキー聞こえるのが苦手だという人もいる。慣れるのに時間がかかる。)

インバルの指揮は第1楽章と第4楽章を豪快に盛り上げていた。ヤルヴィ=N響はもっと端正だったと記憶する。

もちろん拍手喝采だったが、最近は事前に「指揮棒が下りるまでは拍手しないでくれ」という場内アナウンスがあるので、少し拍手まで間があった。この曲に関して言えば、やや間が抜けた。終わったら、すぐ拍手したかった。




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観世能楽堂 狂言風オペラ「フィガロの結婚」 [音楽]

3月19日。観世能楽堂で狂言風オペラ「フィガロの結婚」を見る。

観世能楽堂がどこにあるかを知らなかった。”GINZA SIX”の地下3階にある。

銀座は滅多に行かないところだ。今浦島だ。

GINZA SIX。もとは松坂屋だったと思う。

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地下3階に観世能楽堂がある。場所は分かりにくい。

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狂言風オペラは2002年から始まったという。歌のないオペラである。

モーツァルトの管楽8重奏版の「フィガロの結婚」をバックに、狂言、文楽、能のコラージュで見せる。

合うのかなと思ったが、これが意外といける。笑えた。人形のアルマヴィーラ伯爵(中将 在原平平)が大活躍で、人間様を喰ってしまった。

タグ:観世能楽堂

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3月17日 東京ニューシティ管弦楽団定期演奏会 [音楽]

2018年3月17日。14時~16時10分。東京芸術劇場で東京ニューシティ管弦楽団の定期演奏会を聴く。

指揮は、曽我大介。ピアノは干野宣大。

プログラムでは、ベートーヴェンの序曲「コリオラン」から始まるはずだったが、いきなりピアニストの干野宣大が出てきて、ピアノ独奏を始めたのにはビックリした。これは、どうなっている?と戸惑う。

帰りに掲示が出ていた。ラフマニノフの前奏曲3-2「鐘」を演奏したのである。この独奏が終わると、そのまま序曲「コリオラン」が演奏され、「コリオラン」が終わると、続けてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が演奏された。

つまり、前半は、ラフマニノフの前奏曲3-2、ベートーヴェンの序曲「コリオラン」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が一連の曲として演奏された。指揮者の意向と掲示に書いてあったが、変更される場合は、前もって掲示されるのが常識だ。

曽我大介という指揮者はかなりクセのある人と思われる。プロフィールを読むと、ルーマニアと関係が深い。ブザンソンとキリル・コンドラシンの指揮者コンクールで第1位になっている。実力はあるのだろう。

指揮ぶりは大柄だった。スケールも大きい。教科書的な演奏をする日本人指揮者が多いが、思い切って指揮する人だ。他のコンサートも聴きたくなる。

干野宣大が弾いたピアノはホロヴィッツが好んだ”ヴィンテージニューヨークスタンウェイ”であるという。パワーと色彩感が違う(らしい)。

曽我大介の指揮と相まって第2楽章は、この曲にふさわしく”不倫?”モード満載の演奏となった。ここが白眉だったと言える。

アンコールはショパンの遺作のノクターンだった。

いいピアノなのかもしれないが、弾き方が難しいのではないだろうか。アラが出やすいように思う。

後半は、シベリウスの交響曲第2番だった。曽我大介は思いきってメリハリをつけていた。東京ニューシティ管弦楽団の音にもう少しコクがあったら、もっと感動的になっただろう。

この曲は好きだが、いつもレコードで聴いて疑問に残るところがある。第4楽章で、印象的な第一主題が中間で再現される。劇的で素晴らしい。ここで終りかと思うと、いったん鎮まって、コーダへと徐々に積み上がっていく。もう少し積み上がるのかと思うと、尻切れトンボのような形で終わってしまう。不満が残る。

マーラーの交響曲第1番と同じだ。

今回、ホールで聴いてみると、コーダの音の拡がりが素晴らしい。どうもレコードで聴くと、この拡がりが感じられないようである。レコードの限界か。




タグ:曽我大介

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3月16日 新国立劇場 「愛の妙薬」 [音楽]

2018年3月16日。14時~16時40分。新国立劇場でドニゼッティの「愛の妙薬」を見る。

当初の発表とは指揮者とアディーナ役が変更されていた。しかし、もとの指揮者も歌手も知らないのだから気にならなかった。出来映えで判断するだけだ。

指揮:フレデリック・シャスラン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:チェーザレ・リエヴィ

アディーナ:ルクレツィア・ドレイ
ネモリーノ:サイミール・ピルグ
ドゥルカマーラ:レナート・ジローラミ
ベルコーレ:大沼徹
ジャンネッタ:吉原圭子

「愛の妙薬」については「人知れぬ涙」しか知らなかった。ぶっつけ本番で見たことになる。「愛の妙薬」という題名と「人知れぬ涙」からロマンティックなオペラを予想していた。

しかし、全然違った。喜劇でしょ。メロディーはロッシーニ風でクレッシェンドにワクワクする。めっぽう楽しいオペラだった。

アディーナ役のルクレツィア・ドレイは伸びのある声だった。外人歌手3人は達者だったと思う。日本人歌手の2人は平板に聞こえた。新国立劇場合唱団はいつものように素晴らしい。合唱指揮は三澤洋史ではなく冨平恭平という人だった。

演出はポップな感じだった。もともとは辺鄙な田舎の無知な農夫の話なのでズレているんじゃないかと思うが、歌の邪魔をしなかったからあまり気にならなかった。

指揮者のフレデリック・シャスランは手堅かった。名前からいうと、フランス人か。観客席から”セ・ラ・ヴィ”という声が聞こえた。東フィルも手抜きせずに演奏していた。4月は「アイーダ」だから頑張って欲しい。

「愛の妙薬」を堪能できた公演だった。

”愛の妙薬”とはいいオペラ名だ。「トリスタンとイゾルデ」の話が出てくるから、まともに訳せば”媚薬”ということになる。”媚薬”では官能性が強すぎる。

イゾルデをイタリア語では”ISOTTA”と云うことを知った。

楽しいオペラということが分かったので、帰りにディスク・ユニオンに立ち寄って、CDを買い求めた。新宿のディスク・ユニオンは紀伊國屋書店の8階へ引っ越した。売り場面積は縮小していると思う。DVDは置かなくなった。



タグ:愛の妙薬

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新国立劇場「ホフマン物語」 [音楽]

3月6日。14時~17時40分。新国立劇場でオッフェンバックの「ホフマン物語」を見る。

指揮:セバスティアン・ルラン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:フィリップ・アルロー

ホフマン:ディミトリー・コルチャック
ニクラウス:レナ・ベルキナ
リンドルフ:トマス・コニエチュニー
オリンピア:安井陽子
アントニア:砂川涼子
ジュリエッタ:横山恵子

ラスト、ホフマンはピストル自殺し横たわったままで終わる。普通、ホフマンは詩人の魂を甦らせるという結末の筈だが。いつ、ホフマンが起き上がるのかと期待?したが、そのままカーテンが下りてしまった。オペラは、ホフマンを除いた全員の合唱で盛り上げて終わった。オペラらしい感動的な終わりだった。

あらかじめ、DVDでコヴェント・ガーデン上演の録画を見ておいたが、魅力的なオペラとは思えなかった。しかし、実際に舞台を見ると、第1幕から面白く、人気オペラであるのもうなずける。

コヴェント・ガーデン盤とは異なり、オリンピア(自動機械人形)→アントニア(病んだ娘)→ジュリエッタ(娼婦)の順に登場する。ジュリエッタを最後に持っていった方が「ホフマンの舟歌」を堪能できるので据わりがいい。終幕のエピローグの前の舞台転換の間は「ホフマンの舟歌」を演奏していた。

指揮者のセバスティアン・ルランについては何も知らない。この公演を聞いた限りでは、才能がある。きっちりと曲を構成していくタイプの指揮者だろう。統率力がある。東フィルも気合いが入ったのか、いい音を出していた。

歌手については、日本人歌手の能力を信頼している。ホフマン(ディミトリー・コルチャック)にせよ、ニクラウス(レナ・ベルキナ)にせよ、日本人歌手が歌っても遜色ないと思う。

しかし、リンドルフ(他にコッペリウス、ミラクル博士、タベルトゥットと変身する。)を歌ったトマス・コニエチュニーについては日本人歌手には置き換え不可能だろう。アクが強く、憎たらしい。こういう歌い方の出来る歌手は思い浮かばない。

演出は抽象的だが、歌手の邪魔をしていない。装置、衣装は、前回の新国立劇場のものと同じだろう。前回の公演の写真を見たが同じである。

あまり期待していなかったが、予想以上の出来映えだった。


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3月4日 びわ湖ホール「ワルキューレ」 [音楽]

3月4日。14時~19時。びわ湖ホールで「ワルキューレ」(ワーグナー)を見る。

前日の3月3日は外国人歌手も歌っていたが、4日は日本人歌手ばかりで、純国産?のワーグナー公演だった。

指揮:沼尻竜典
管弦楽:京都市交響楽団
演出:ミヒャエル・ハンペ

ジークムント:望月哲也
ジークリンデ:田崎尚美
フンディング:山下浩司
ヴォータン:青山貴
ブリュンヒルデ:池田香織
フリッカ:中島郁子

(ワルキューレの娘たちは省略。)

ミヒャエル・ハンペの演出は分かりやすい。高齢になると、わかりにくい演出は嫌われる。演出家としては新規なものをやりたいのは分かるが、オペラの観客は高齢者が多いのだから、あんまり尖った演出は控えるべきだ。演出家と観客の間にすれ違いが起きる。

第2幕の後半と第3幕は荒涼たる風景で、昔の西部劇を思い出したね。

「リング」を19世紀のSFファンタジーと考えれば、スペース・オペラに置き換えられないかと考えたことがある。

「ワルキューレ」はとてつもないオペラだと思うが、登場人物の少なさといい、内容といい、実質的には濃密な室内劇である。オペラを見ている最中は、そういうことは感じないが。

演奏は素晴らしかった。日本人歌手の水準を信頼している。欧米の巨体歌手の声量に比べれば落ちるかもしれないが、そういう歌手は世界を探しても何十人といるわけではない。

第1幕は、なじめない始まりだったが、これは私のせい。ドラマに溶け込むのに時間がかかる。第1幕のジークムントとジークリンデの二重唱から完全に舞台に魅せられるようになった。望月哲也と田崎尚美の歌唱も抜群だった。沼尻竜典の指揮も流れを重視したものだ。京都市響がきちんとフォローできたかどうかは疑問が残る。

第2幕は、アタマが痛くなっておしまい。筋を理解するのに骨が折れる。ヴォータンの長講釈に付いていくのはツラい。

第3幕は、最後の「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」は感動的だった。4分の3ぐらい、涙腺が開いた。ヴォータン(青山貴)ブリュンヒルデ(池田香織)ともに良かった。

長い拍手をしたかったが、19時終了で、帰りの電車が京都発20時52分だったから、早々に切り上げる。臨時バスで大津駅に出て、京都駅に着いたのが19時半。横浜の自宅には真夜中に着いた。





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2月28日 藤村実穂子 リーダーアーベントⅤ [音楽]

紀尾井ホールで。19時~21時。

ピアノ:ヴォルフラム・リーガー

プログラム。

(前半)シューベルト ①ガニュート ②糸を紡ぐグレートヒェン ③ギリシャの神々
           ④湖上にて ⑤憩いなき愛

    ワーグナー マチルデ・ヴェーゼンドンクの詩による5つの歌曲

           ①天使 ②止まれ! ③温室で ④痛み ⑤夢

(後半)ブラームス ①セレナーデ ②日曜日 ③五月の夜 ④永遠の愛 ⑤私の愛は緑

    マーラー  フリードリッヒ・リュッケルトの詩による5つの歌曲

          ①美しさ故に愛するなら ②私の歌を見ないで 
          ③私は優しい香りを吸い込んだ ④真夜中に
          ⑤私はこの世から姿を消した

(アンコール) マーラー 少年の魔法の角笛より 「原初の光」
        リヒャルト・シュトラウス 4つの歌より 「明日へ」

藤村実穂子は巫女さんだと思って聞いた。ピアノも素晴らしく妙なる調和だった。

消え入るような曲が多く、拍手するのがためらわれた。

拍手なしの演奏会があっていい。
タグ:藤村実穂子

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