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チェコ・フィル サントリー・ホール演奏会 [音楽]

チェコ・フィル演奏会を聴く。

日時:2017年10月4日 19時~
場所:サントリー・ホール

指揮:ペルト・アルトリヒテル

管弦楽:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

ピアノ:アリス=紗良・オット

プログラム:

①スメタナ 「売られた花嫁」序曲

②ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

③ドヴォルザーク 交響曲第8番

(アンコール)

アリス=紗良・オット → ショパン夜想曲嬰ハ単調 <遺作>

オケ→ ドヴォルザーク スラブ舞曲集第2集より 第7番及び第8番

先日の「わが祖国」では、ペルト・アルトリヒテルの奇妙な指揮ぶりに悩まされたが、サントリー・ホールでは2階席だった。上から見下ろす形になると、指揮ぶりは動作が大きいとは思うものの奇妙には見えなかった。指揮者によっては、前方の席は具合が悪い。ヤルヴィやカンブルランなら問題ないが、広上淳一になるとまずい。

演奏は、どれも素晴らしかった。これは”当たり”の演奏会だった。スメタナの序曲の冒頭はいまいちだったが、あとは快調に終わりまで演奏した。

アリス=紗良・オットのピアノは、弱音は玉を転がすような美音で魅力的だ。難を言えば、やはり協奏部分に力が欲しい。アンコールが一番良かった。節回しもおもしろく、「皇帝」を新鮮にきかせたのだから頼もしい。ピアニストがいいかどうかは、リサイタルをききたくなるかどうかで判断している。ききたくなるピアニストである。

ペトル・アルトリヒテルの指揮は、ダイナミックで、ドヴォ8になると、威力が遺憾なく発揮されていた。第4楽章中間部の舞曲風のリズムはワクワクした。

チェコ・フィルは、去年、今年と聴いたオケの中では最高水準だった。ホールを出たあともハッピーな気分が続いた。



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ヴェネツィア室内合奏団演奏会 [音楽]

ヴェネツィア室内合奏団の演奏会を聴く。

日時:2017年10月3日 19時~

場所:紀尾井ホール

プログラム:

①ヴィヴァルディ 「四季」

②ピエトロ・ドメニコ・パラディージ 「トッカータ」

③ジュゼッペ・タルティーニ 「チェロ協奏曲」

④ヴィヴァルディ 「ラ・フォリア」

(アンコール)

①ヴィヴァルディ 「調和の霊感」op3-10より第3楽章

②マラン・レイ ヴィオル曲集第2集より「スペインのフォリア」

③ニーノ・ロータ 「ロミオとジュリエット」より「タイム・フォー・アス」

④コレッリ 合奏曲集op6より第4番第4楽章

⑤タルティーニ ヴァイオリン協奏曲d-96より第4楽章

最近は、アンコールなしの省エネ演奏会も大いのに、5曲も演奏した。30分ぐらいかかった。ニーノ・ロータの曲でおしまいかと思った。バロックではなく、追加のサービス演奏で、これで終わりと思っていた。それがあと2曲続いた。

ヴィネツィア室内合奏団は、8人編成。8人だと薄い音になるのかと心配したが、そういうことはなかった。

バロック音楽なので、いい演奏とか悪い演奏の区別がつかない。後期ロマン派の重たい曲ばかり聴いてきたので、たまにはバロック音楽もいいと思って、出かけたのだ。清涼剤のつもりで。

音楽史だと、バロック音楽が古典派音楽になり、古典派がやがてロマン派になり、それが進化?して後期ロマン派となるのだろうが、ホールで聴いていたバロック音楽が、やがてマーラーのような化け物音楽?になったのが不思議な気がした。

ヴァイオリン奏者に男前が一人、チェロ奏者はラリっているのではないと思えた。チェロ協奏曲はすごい弾き方をしていた。






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チェコ・フィル 「わが祖国」 [音楽]

チェコ・フィル演奏会をきく。

日時:2017年10月1日

場所:みなとみらいホール

指揮:ペトル・アルトリヒテル

管弦楽:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

プログラム  : スメタナ「わが祖国」

  (アンコール: ルイジー・ビエロフラーヴィクを偲んで ドヴォルザークのスラブ舞曲集第2          集より第8番) 


来日予定だったチェコ・フィルの首席指揮者だったイルジー・ビエロフラーヴィクが5月末に亡くなったので、指揮者が変った。

チェコ・フィル=わが祖国、である.。オケ自体の固有の演奏法があるだろうから、指揮者の交代はあまり影響しなかったと思う。

ペトル・アルトリヒテルは指揮ぶりがおかしく、あまり見ないようにした。何か、蛸が空中遊泳している(笑)に見えた。

いわゆる「本場の演奏」であるが、本場の演奏とは何か? 微妙なところがある。リズムの刻みとか歌わせ方とか、楽譜に表現できないものがあるのだろう。

民族性というのもは意識しなくてもあると思う。それを感じたのは、吉野直子のハープ三重奏をきいたときである。ドビュッシーと武満徹の曲を演奏した。全然なじみのない曲だったが、武満の曲に親近感を覚えた。何か日本人として共通するものがあるのだろうと思った。それが民族性なのだろう。


チェコ・フィルの音はまろやかで落ち着いていた。コーダでも音は割れず、ききやすかった。

アンコールのドヴォルザークは結構雑にきこえたので、「わが祖国」以外の曲はどうかという疑問は残る。



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N響定期 Cプログラム [音楽]

NHK交響楽団の定期公演を聴く。

日時:2017年9月23日 15時~
場所:NHKホール

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:NHK交響楽団
ピアノ:デニス・コジュヒン

プログラム:

①グリンカ 「幻想的ワルツ」

②ラフマニノフ ピアノ協奏曲第4番

③スクリャービン 交響曲第2番

オール・ロシアもの。一度も聴いたことがない曲ばかりだ。

グリンカの「幻想的ワルツ」はロシアの叙情的ワルツの源流という。美しい曲である。これなら抵抗がない。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番を弾いたデニス・コジュヒンは、2010年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝した偉材である(という)。ロシアの有望な若手ピアニストは何人いるのかと考えてしまう。ハリトーノフ、トリフォノフ…。

ラフマニノフのピアノ協奏曲は第2番と第3番しか知らない。第4番は魅力があるとは思えなかったが、隣で「いい曲だね」と話す声をきくと、自分はロバの耳かと疑ってしまう。

アンコールは、スクリャービンの3つの小品より、第1番「練習曲」だった。

スクリャービンの交響曲第2番は、妙な言い方だが、交響曲らしい交響曲だった。前日に聴いた交響曲第4番は、序奏とコーダはあるが単一楽章の交響曲で、実質的には交響詩のように思えたからだ。

第2番は、第1楽章+第2楽章、第3楽章、第4楽章+第5楽章と、三つの部分で形成された5楽章の交響曲である。第3楽章が特に美しい。スクリャービンというと、神秘思想に取り憑かれた異端の作曲家というイメージがあって敬遠していたが、全くの誤解だった。

マーラーよりも聴きやすい。これを聴いて、知らない名曲が他にもあるのではないかと思うようになった。


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新日本フィル トリフォニー・シリーズ [音楽]

午後は六本木、夜は錦糸町の一日。途中、神保町へ立ち寄ったが。

新日本フィルハーモニー交響楽団のトリフォニー・シリーズを聴く。

日時:2017年9月22日 19時~
場所:すみだトリフォニー・ホール

指揮:マルティン・ジークハルト (当初予定のルイ・ラングレが急病のため変更された。)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
ヴァイオリン:竹澤恭子

曲目:

①シューマン 序曲「メッシーナの花嫁」

②メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

③ドビュッシー 「牧神の午後への前奏曲」

④スクリャービン 交響曲第4番「法悦の詩」

シューマンの序曲は、演奏会用の序曲という。魅力を感じない曲で、オケも粗かった。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は何度も聴いていて食傷気味だが、竹澤恭子の演奏は強烈で引き込まれた。

普通、この曲はロマン派の代表作と言うことでロマンティックに演奏するが、大ホールで聴くと微温的にきこえ、だれてしまう。その点、竹澤は強烈に引き絞って演奏していたのでだれるところがない。二の腕が太く、音が強い。ヴァイオリン奏者はこうでなくてはと思う。やっと素晴らしいヴァイオリンに巡り逢った思いがした。リサイタルがあったら、聴きに行きたい。

後半は、ドビュッシーとスクリャービンである。プログラムを見たとき、どうしてこういう組み合わせになるのかと不思議な気がした。

ドビュッシーが終わると、軽い拍手1回で、すぐスクリャービンの演奏にはいった。冒頭を聴いたとき、アレッと思った。フルートで始まる。ドビュッシーと間違えそうだ。第4番の序奏は、ドビュッシー風だ。それがこの組み合わせを生んだのだろう。

序奏が終わると、後期ロマン派特有のうねうねした旋律が切れ目なく続く。管弦楽は大規模で、大太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、グロッケンシュピール、チャイム、ハープ、チェレスタ、オルガンを交えた大音響になる。マーラーやリヒャルト・シュトラウスで鍛えられた?ので今更驚くこともなかったが、なぜこうまで肥大化した音楽が19世紀末20世紀初頭にもてはやされたのか、そのことを考えてしまった。

シューマンの時とは大違いで、新日本フィルも熱演で、コーダのまとまりは素晴らしかった。


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サントリーホール ハープ三重奏 [音楽]

サントリーホール・チェンバー・ミュージック・ガーデン プレシャス1pm Vol.3を聴く。

日時:2017年9月22日 1pm~
場所:サントリー・ホール ブルーローズ (小ホール)

演奏者:吉野直子(ハープ) 上野由恵(フルート) 川本嘉子(ヴィオラ)

曲目:

①ボニ 「森の情景」より”ノクターン”

②バックス 哀愁的な三重奏曲

③ドビュッシー フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ

④武満徹 「そして、それが風であることを知った」

 アンコール ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」

アンコールのラヴェルを除けば、知らない曲ばかりだった。吉野直子のハープを一度聴いておきたいということで出かけたものである。

吉野直子はトークで「眠くなるかも知れませんけど…」と言っていた。眠気は催さなかった。やや高級な気分を味わえればそれでいい。

こういうのは、サロン・ミュージックだと思う。お茶でも飲みながら聴くのがいい気がする。ボンヤリと聴いているうちに1時間が過ぎた。これも音楽の効用だと思う。
タグ:吉野直子

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広上淳一=京都市交響楽団コンサート [音楽]

日時:2017年9月18日 18時~
場所:サントリーホール

指揮:広上淳一
管弦楽:京都市交響楽団

曲目:①武満徹 「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」~5人の打楽器奏者とオーケストラのための~
   ②ラフマニノフ 交響曲第2番

午後の東京芸術劇場から夜のサントリーホールへ。

第46回サントリー音楽賞受賞記念コンサートだった。広上淳一=京都市交響楽団のコンビで受賞したのである。

広上淳一の指揮を見るのは初めてである。面白い(というか、ふざけているように見える)指揮をする人だよと知人が言っていたが、その通りだった。指揮台での動きが激しい。上岡敏之も激しかったが、まだオケに指示を出していることが分かるので、ついて行ける。広上の指揮はオケに対する指示がわかりにくいので、指揮台で動き回っているだけとしか見えないが、京都市交響楽団の演奏は充実していた。

武満の曲。

ホールにはいったとき、ステージの前面に見慣れない打楽器が置かれ、これは異様だった。チベット音楽でも聴くのかと思った。

今思い出しても、これが音楽かと思う。音楽は音を聴くのが普通だが、この曲は、音の余韻を聴く。凸凹でいえば凸を聴くのが普通の音楽、この曲では凹を聴いた。

耳に余韻が残る。お寺にいるような気分になった。

武満徹は交響曲を書かなかった。なぜ書かないと池辺晋一郎がきくと、アレグロが書けないからと答えたそうだ。そういう作曲家なのだ。

後半のラフマニノフは凸音楽である。大凸音楽。全曲を聴いたのは初めて。いつも、第3楽章しか聴かない。youtubeでプレヴィン=N響の名演奏を見ることができるが、これは恋愛映画にふさわしい。恋愛映画にふさわしいクラシックというと、マーラーの交響曲第5番第4楽章か、ラフマニノフの交響曲第2番第3楽章がまずあげられる。

この第3楽章以外はというと、やはり後期ロマン派の曲だという印象。第3楽章だけでいい気がする。一度だけで勘弁して欲しい。




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日フィル サンデーコンサート [音楽]

日時:2017年9月18日 14時~
場所:東京芸術劇場

指揮:下野竜也
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団

曲目:①モーツァルト ピアノ協奏曲第23番(ピアノ:キム・ヒョンジュン)
      アンコール:プロコフィエフ 「四つの小品」より”悪魔的暗示”

   ②モーツァルト ミサ曲ハ短調<大ミサ曲> ソプラノ:石橋栄実 隠岐彩夏 
                        テノール:小原啓楼
                        バリトン:宮本益光

ピリオド系の演奏スタイルではなく、昔ながらの安心して?聴ける演奏だった。23番は、秋にふさわしい曲で、特に第2楽章は心にしみるものがある。紅葉の中を一人散策する時はこの曲がベストだ。

演奏は安心して聴けたが、どこか腰が重たい。第3楽章は躍動感が欲しかった。アンコールは、プロコフィエフの超絶技巧曲だったが、女流の限界を感じた。

<大ミサ曲>は未完の作品ということである。キリエ~ベネディクトゥスはベーレンライター版、アニュス・デイはブライトキプフ版を使用した。前半はモーツァルトらしいが、段々と普通のミサ曲になり、最後は終わったことが分からなかった…。

歌手は石橋栄実が目立った。下野竜也の指揮は初めて聴いた。今年の正月に旅行で一緒になった人が下野の指揮を褒めていた。重厚な演奏をするタイプに思えるが、判断保留。
タグ:下野竜也

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N響定期公演 ショスタコーヴィチ [音楽]

日時:2017年9月16日
場所:NHKホール

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:NHK交響楽団

曲目:ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」

ショスタコーヴィチ交響曲第7番のイメージはよろしくない。戦時中の戦争プロパガンダ音楽という先入観が邪魔をしている。初演は、ソ連全国にラジオ放送され、すぐさまアメリカでもトスカニーニによって初演された。反ファシズム音楽と理解された。

そもそも、私がクラシック音楽に親しみだした60年頃は、ショスタコーヴィチやプロコフィエフは古めかしい音楽とされていた。当時の先端の音楽は、ブーレーズとかヴァレーズ、ノーノだったと思う。

あれから半世紀がたち、今のプログラムを眺めると、古めかしかったはずのショスタコーヴィチやプロコフィエフの名前はあるが、当時の最新の音楽は演奏されない。どうなっているのかと思うことがある。

プロの音楽家はともかくも、一般の聴衆が受容できる音楽には限界がある。今では、ショスタコーヴィチを最後のクラシック作曲家と言う人もいる。ショスタコーヴィチが死んだのは1975年である。それから40年以上が経過している。これが正しいとすると、クラシック音楽は既に「骨董」音楽になっている、ということである。

古い音楽はきき飽き、新しい音楽には馴染めないとすると、何を聴いたらいい?

毎度毎度、古い音楽を聴くとすれば、既にその音楽には”情報”はない。聴き慣れた旋律が耳を通過するだけである。

それがいいのかもしれない。

今は亡くなった人が毎日テレビ時代劇を見ていた。飽きないのかと問うと、何も情報がないから気易くていいと答えた。高齢者は新しい情報を受け付けたくない。疲れるだけだからである。自分がクラシックを聴くのはその類いであるのだろう。

ショスタコーヴィチ交響曲第7番をコンサートで聴くのは初めてである。第1楽章のしつこい反復にはまいったが、「ボレロ」の影響らしい。静かに終わる。

第2楽章、第3楽章も、美しいと思う。荒々しさがないのが不思議だ。第4楽章の終結部はさすがに盛り上がる。こうやれば聴衆は感動するだろうという、職人芸を発揮しているようである。

ヤルヴィ=N響の演奏は快演だった。最後の祝祭的な全合奏は突出していた。日本の他の交響楽団にはないものだ。聴いたのは、1500円也の自由席で。一番上の最奥だが、音の溜りがよく、聞きやすい。




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読響 土曜マチネ [音楽]

読響の土曜マチネを聴く。

日時:2017年9月16日
場所:東京芸術劇場

指揮:コルネリウス・マイスター
管弦楽:読売日本交響楽団
ピアノ:ダニール・トリフォノフ

プログラム。

①スッペ 喜歌劇「詩人と農夫」序曲

②プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番

③ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」

当日券を購入して聴いた。ダニール・トリフォノフの超絶技巧に興味が起きたからだ。席は3階だったが、中央左側の席で指の動きはよく見えた。

「詩人と農夫」序曲はポピュラー・クラシックやお子様向けのコンサートで演奏される曲で、こういう本格的な?で演奏されるのは珍しい。チェロ独奏は、遠藤真理だった。アレグロや行進曲部分になると、マイスターの指揮が光る。

「詩人と農夫」は序曲が有名だが、肝心の劇本体部分は失われてしまってストーリーも分からないという。スッペぐらいの有名作曲家の作品は残っていると思っていたので、これは意外だ。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番は、これも初演の時の楽譜がロシア革命の混乱の中で失われた。現在演奏されているのは1923年にプロコフィエフが記憶をもとに復元した改訂版である由。
初演時には、ピアノの埃を払っているのか、メチャクチャに叩いているのか、観客にはわからなかったという。もちろん、メチャクチャに叩いているわけだ。

もちろんそれは覚悟していたので、トリフォノフの指の動きだけを見ていた。超絶技巧は見ているだけでワクワクする。

トリフォノフは写真と違ってヒゲ面だった。ステージに登場する姿は、シャイなのかどうか、動作が落ち着かない。演奏が終わっても同じで、もう少し落ち着いて貰いたいが、新進演奏家に要求するのは無理だろうか。

アンコールはプロコフィエフの「シンデレラ」よりガヴォット。

聴いた座席が違うので間違っているかも知れないが、先日聴いたダニール・ハリトーノフの方が迫力があった。それにしても、ロシアはすごいピアニストを生む国である。

(追記。トリフォノフは来日前に、ルツェルン音楽祭で、このプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を、ゲルギエフ=マリインスキー劇場管をバックに弾いていた。←「音楽の友」10月号の記事から。)

「田園」について。マイスターの指揮ぶりから行くと、第5とか第7は似合うが、「田園」はどうかな?と思っていた。第3楽章、第4楽章は問題ないだろう。第2楽章の演奏に注目した。柔軟に処理して感動的ではあった。

しかし、自分の感覚が古いせいか、ノン・ヴィブラート奏法の演奏はあとに残らない。ホールを出るとコンサートの余韻が残らない。オーラがまだ足りない。

読響は第5楽章の最後の最後で音が硬くなったことを除けば素晴らしかった。






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